僕のSNS発信はmixiから始めてもう12年ほどになります。最初の頃の投稿は恥ずかしくて見れたものではないですけどね。(今も大した内容ではないのは言わない約束ですよ

mixiで投稿していた時から度々起こり、Facebookで顕著に出てきたのが「批判」です。まぁFacebookは名前が出てますからね。で、どんな批判かというと、

◇毎日飲んでばっかりで羨ましいですね(皮肉)

◇遊んでばっかりで仕事してないんですか?(嫌味)

◇リア充アピール大変ですね(嫉妬)

こんな感じ。僕から言わせれば・・・まぁ、お好きにどうぞ!という感じです。

確かに僕も最初の頃は気にしてました。最初に叩かれたのはいつだったか・・・2ちゃんねるみたいな掲示板で15年くらい前に好き放題書かれてました。歌が下手だとか音痴だとかそんな類の内容でしたけど。匿名性というのはなかなかの言葉の暴力性があります。メンタルがやられてしまう事もあります。ま、あの頃は耐性が無かっただけなので今は気にしませんけどね。言いたい人には言わせておけば良いんです。

何でそんな事を書いているか?というと、藤村先生のある日のツイートを見たから。そのツイートはこちら。

何故人はわざわざ関係ない人の投稿にやっかむのか?対抗するのか?批判するのか?そして、そういう人が何故仕事が上手くいかないのか?健康を害するのか?という事を考えました。

結論は題名にも書いている通り、「自己中心的」だからに尽きる。

批判や対抗する人というのは、「自己中」か「やらない人」です。つまり、やらないくせにやってる人を見て勝手に嫉妬して批判しているだけ。器の大きい人(自己中の逆の意味という事で)や、やってる人は「お!アイツも頑張ってるな!自分も頑張ろう!」程度に感じる事なのに、自己中の人は「自分と比べる」ので批判的になりやすい。

自分と比べている時点で、ストレスを受けやすいので批判者というのは健康を害しやすいのではないか?と結論付けてみます。

そう考えると、人の投稿にイチイチひがんでいないで、一つの情報として噛み砕けば良いと思います。ラーメンが美味いという投稿なら「美味しそう!」「他の人はどんな評価だろうか?」「行ってみたい!行ってみよう!」が正解な訳で、人が結婚したって報告なら「おめでとう!」「自分も続きたい!」「おめでたい!」が正しい。・・・多分。そういった投稿に対し、自分にはそういった事が無いから「ズルい!」という感情を生み出す事がまず間違っているんだと思います。僕が飲んでていて「ズルい」と思うなら飲みに行けば良いだけだし、僕がSNSで仕事をもらえているのが「ズルい」と思うならもっと発信すれば良いだけです。やっている人、頑張っている人は批判なんかしない。

という訳で、人が羨ましいと思ったら、批判なんかしていないで行動しましょう!やりましょう!それでもやらないなら批判の相手は人じゃなくて自分です。本日は以上です。1/3でも伝われば幸いです。